礼拝の原点 それは、神、メシヤとの出会い

今週の礼拝について

『礼拝の原点 それは、神、メシヤとの出会い』

どのような姿勢で礼拝に臨むべきか?一緒に考えてみましょう。
歴史を通して、礼拝が果たしてきた役割は絶大です。ユダヤ教、キリスト教が、今日まで存続、発展してきた力の源泉は礼拝にあります。このような中心宗教の基台の上に立っている統一教会も、さらに発展していくためには、この礼拝の営みを踏襲すべきです。礼拝が信仰生活の力の源泉となって一週間の歩みを出発していくべきです。

聖書の中に礼拝と言う言葉が初めて出てくるのは、(創世記22章5節)イサク献祭の場面です。イサクは神様がアブラハムを大いに祝福し100歳を超えて出来た子であったため、アブラハムはイサクを本当に愛し大切に育てました。そのイサクを燔祭として捧げよと言われたのです。
アブラハム

アブラハムは悩みました。悩みに悩んでいる父の姿を見て、イサクはどのように感じたでしょうか? 原理講論の329ページ10行目に「彼(イサク)は既にみ旨が理解できる年齢になっていたことは明らかである」とあります。イサクには何故アブラハムが悩んでいるのか理解できていました。そして、彼は「お父さん、悩まないで下さい。私は立派に供え物になります。お父さんは、神様の願いどおりになさって下さい。」と決意をしていたのです。そんなイサクを見て、アブラハムは、「神様、感謝します。こんなにも素晴らしい子を与えて頂いて。この子はまさしくあなたの子です。みごと、あなたに捧げましょう。」と決意して行きました。
イサク


原理講論の329ページ14行目に「このように、み旨に対して物事の道理が分別できる程度の年齢になっていたイサクが、もしも、燔祭のために自分を殺そうとする父親に反抗したならば、神はそのイサク献祭を受けたはずが無いのである。ゆえに、アブラハムの忠誠と、それに劣らないイサクの忠誠とが合致して、イサク献祭に成功し、サタンを分立することができたと見なければならない。」と書かれている通りです。このイサク献祭こそが礼拝の原点です。時代と地域の特性に合わせて礼拝の形式に変化があっても、この礼拝の原点に見られる以下のパターンは普遍でした。それは、今後も変わりません。

<礼拝のパターン>
砕かれた心による深い悔い改め ⇒ 神のみ旨に命を捧げる決意 ⇒ サタン分立 ⇒ 神との出会い

真の御父母様が中心となられて捧げられた礼拝の中に、私には忘れられない二つの思い出があります。1つは2003年10月にイーストガーデンで捧げられた礼拝です。御父母様の通訳をしていた時、通訳がうまくできなかったために、真のお父様から「死ね」と言われたことがありました。礼拝後、私は悩みました。普段、メシヤのために命をかけて歩むと祈っていたのにもかかわらず、いざとなると死ぬことが出来ない自分を見て悩み、何度も何度も自問しました。必死に祈りを捧げながら、神のみ意を祈り求めました。その礼拝でのみ言の録音を入手して再度必死に聞きなおした時、「死ね」と言われた後に、「馬鹿も生きなければならないんだよ」と言われていた事を知りました。

そこで、恥ずかしながら生き続けることにしました。その2ヵ月後に、清平で捧げられた神の日の0時の記念礼拝が、忘れられることのできない二つ目の礼拝です。そこにも通訳として参加しましたが、その年始の礼拝でのみ言の中で真のお父様が、「この中に先生に死ねと言われて悩んでいる者がいるだろう。メシヤに死ねと言われて、それをもってメシヤと因縁を結べたのなら、それは良いことではないか。」と、それまでのみ言の脈略とは関係なく、突然、言われました。世界中から集った何千名もの食口に年頭標語の説明をなされる重要な礼拝で、メシヤが私のために貴重な時間をさいて下さったことに驚き、心から感謝しました。神様の導きを感じて涙があふれました。

礼拝、それは、神との出会い、メシヤとの出会いの場です。6000年、そして未来永劫に続く人類歴史の中で、神が送られたメシヤと出会い、因縁を結べることは奇跡中の奇跡です。地上天国建設の摂理に同参することを通してメシヤと因縁を結べることは、先祖の願いであり、後孫にとって、日本民族にとっての栄光、誇りです。
礼拝で感得したものを持って、一週間を歩み、神が送られたメシヤとの因縁を深め、絆を固めましょう。
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.11 2010 礼拝 comment0 trackback0
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灯台守

Author:灯台守
統一教会に通う壮年食口です。92年の合同結婚式で一緒になった妻と4人の子供たちと暮らしています。
日々、感じたことや統一運動が日本にとって必要な運動であることを伝えていきたいと思っています。
灯台守の由来は、日本には灯台守はいなくなりましたが、教会や地域、そして日本を灯台に例え、灯台守の役割を果たしたいというところから名づけました。

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